文学百景 其ノ二『山月記』
文学百景 其ノ二
中島敦『山月記』岩波文庫
李徴の慟哭 ISANA
その声は召集の号令とも誘引のささやきとも解釈ができた。しかし何者にも成り損ねた李徴にとって、それは何より、承認の兆しを帯びた呼びかけであった。己は本来そうあるべきだと彼が自負するところの「あの李徴」を、その声が呼んでいるように聞こえた。矢も盾もたまらず、李徴は疾駆した。
しかしそれは承認の声ではなかった。自認の内なる声ですらなかった。それは、もしそれが風の音でなかったとすれば、せいぜいのところ同定の声にすぎなかったのだ。李徴が虢略に住む隴西の李徴であることと、虎が商於の人喰虎として同定されることの間に、本質的な違いはない。「これは鉛筆である」と「彼は李徴である」と「あれは虎である」という言明は等価である。
己が獣と成り果てることを恐れる李徴は、それが「あの李徴」を救う唯一の解決法であることに気がついていない。彼は、虎に変身することによって、下吏の李徴に変貌することを拒んだのだ。これで「あの李徴」は、「実現されなかった李徴」として滅せず、「実現したかもしれない李徴」として保存される。人喰虎に宿る人間の心が死ぬことで、「あの李徴」は不死の幽鬼となるのだ。薄倖の才人に残された、物淋しい自己実現の細道である。
思えば人間の彼は臆病だった。もし実際に成功していたとしても、彼の得られる最上の幸福は、自分に理解者はいないと嘯き、己を崇拝するものを軽蔑することで得られる表面的な安息だけだったかもしれない。
ほどなく虎の咆哮から悲しみは抜けるだろう。